ウィリアム・ジェームズとアメリカの心理学のはじまり
目次 1章.エマソンとフーリエ主義の影響 ■➀エマソンとカーライル■■②フーリエ主義■■③ルヌーヴィエ■■④スヴェーデンボリ■ 2章.モリス・ハントとミレーの影響 ■➀モリス・ハント■■②ミレー■■③ジョン・ラファージ■ […]
Read more目次 1章.エマソンとフーリエ主義の影響 ■➀エマソンとカーライル■■②フーリエ主義■■③ルヌーヴィエ■■④スヴェーデンボリ■ 2章.モリス・ハントとミレーの影響 ■➀モリス・ハント■■②ミレー■■③ジョン・ラファージ■ […]
Read more目次 【1章.『人口論』と進化論と優生学】【2章.ダーウィンの遺伝論とその研究】【3章.平凡への回帰~回帰分析や相関係数の発見~】【4章.個人差と個体研究の心理学への登場】【追加資料・生涯】 どんな知覚の傾向があるか、ど […]
Read more目次 【1章.南アフリカの冒険】【2章.天気予報の始まり】【3章.『三匹の子豚』の普及と合成写真】 統計学は、いつ始まったのかという問題は難しいものですが、基本的にはフランス革命などが起こり、王政が排され(或いは縮小) […]
Read more認知論と脳科学などの生理学と進化論が出会う事で「心理学」が登場したようです。この空気をちょうどその時代に生きたスペンサーを通して描けたらと思います。 目次 【1章・スペンサーと進化論の出会い】【2章・イギリスの骨相学】【 […]
Read more【生涯】 ハーバート・スペンサーは、短期間、父親の経営する学校の生徒であった以外、パブリックスクールへも通わなかったし、大学にも入らなかったようです。父親と叔父とが教師であったようです。※1 鉄道の技師には、最初から […]
Read more目次 1話【外山正一とスペンサー】 2話【加藤弘之とスペンサー】 3話【南方熊楠と進化論】 4話【南方熊楠とスペンサー】 5話【ラフガディオ・ハーンとハーンとスペンサー】 1話【外山正一とスペンサー】 1876年、開成 […]
Read more目次 1話【森有礼の渡米と明六社創設】 2話【明六社時代の福澤諭吉とスペンサー】 3話【鹿鳴館時代の森有礼とスペンサーの忠告】 4話【板垣退助と『社会平権論』】 5話【森有礼、英国での斡旋と日本国憲法発布の事件】 6話【 […]
Read moreアーネスト・フェノロサは、1878年に日本で大塚貝塚を発見したエドワード・モースからの依頼で、東京大学で哲学・政治学の講義をするために来日しました。そのため、来日直後はフェノロサが大学時代影響を受けたハーバード・スペンサ […]
Read moreシャーロック・ホームズ・シリーズが精力的に書かれていた1890年代の前半のイギリスでは、まだ事件の捜査のうえでの証拠として指紋をほとんど用いていませんでした。※2 1840年に、バートランド・ラッセルの曾祖父にあたる […]
Read more脳が人間の活動にとって大事な部位であることは、意外に遅くなってからわかったようです。 アリストテレスは脳は心臓から送られてくる熱を冷ます場所でしかないと考えていました。※4 15世紀後半くらいからレオナルド・ダ・ヴ […]
Read more目次 1話【フロイトの幼い頃の憧れとその後の影響】 2話【フロイトの初めてのイタリアと近代神経学への道】 3話【シャルコーとフロイトのパリ留学】 4話【フロイトのフランス留学とムーラン・ルージュ】 5話【ヒステリー研究】 […]
Read more1872年に開業した日本最初の鉄道は国による建設であり日本の鉄道は国有国営を旨としたが、その後勃発した西南戦争による政府財政の窮乏により、幹線鉄道網の一部は日本鉄道などの私鉄により建設されたのが、基本的な流れです。ただ […]
Read moreバートランド・ラッセルはトリニティ・カレッジに入学し様々な交友を持ち、さらにはその後ドイツに訪問してマルクス主義に影響を受けています。 ■➀ケンブリッジ大学での交友■ バートランド・ラッセル(1872-1970)は1 […]
Read moreイギリスは1760年頃から1830年まで、トーリー党が政権を独占していたが、1820年以後はトーリー党内においても、カンニングのような自由主義派の勢力があらわれて、自由主義的な政策を実施するようになりました。 今回は […]
Read moreキャッシュレジスターの登場から食料品チェーンストアの始まりまでを、レジスターの高いシェアを世界において獲得してく会社「NCR」と絡めて論じます。 目次 ■➀キャッシュレジスターの登場■ ■②NCRの登場■ ■③パターソ […]
Read more目次 1章・ビスマルクの失脚 ①モルトケとビスマルク ②ヴィクトリア女王の長女 ③皇帝とビスマルクの確執 2章・第一次世界大戦➀オーストリアの開戦 ①サラエヴォ事件の皇帝の受け止め方 ②ピーター・ドラッカーの父 ③ […]
Read more19世紀中ごろのアメリカの奴隷制度を巡る議論は、「女性の参政権」の問題や「北部・南部・西部」の問題なども巻き込んで生じていきました。 ■目次■1.女性の参政権~ルクレシア・モット~ ①女性が活躍していた故郷/②女性の権利 […]
Read more自由の女神の内部構造を作った「ギュスターヴ・エッフェル」は、1889年のパリ万博に向けて「エッフェル塔」を作る案を出し、フランス革命100周年ともなる万博のコンペで選ばれました。当時、世界で一番高い塔は石造りで作られたワ […]
Read more【1 .消毒技術】 手術用の手袋を考案した事でおそらく一番有名なハルステッド。 彼が医療に携わったとき辺りに消毒液を使うようになり、ヨーロッパでの知見を合わせて手術の際の無菌状態を作る設備とシステムを確立していきます。 […]
Read moreナポレオンの戦争でクラウゼヴィッツが「戦争芸術の粋」と称賛した1805年の「アウエルシュタットの戦い」の時にイギリス首相をしていた小ピット。 彼の功績は、アウエルシュタットの戦いとほぼ同時期に海戦においてフランスに圧 […]
Read more「モリソン号」事件~「アヘン戦争」・「太平天国の乱」・「アロー戦争」「日英修好通商条約」~「第一次東禅寺事件」「ロシア軍艦対馬占領事件」の流れを、それを担った人物たちを追いながら解説していきます。 ①モリソン号事件から日 […]
Read more【序・アレクサンデル1世の時代とゴローニン】 【序・アレクサンデル1世の時代とゴローニン】 ゴローニン事件は、1811年千島列島を測量していたロシア軍人ゴローニンを、国後島で捕縛・抑留された事件だ。 そのゴローニンは調べ […]
Read more序. ユングにとってのニーチェ 序. ユングにとってのニーチェ ニーチェは多くの著作の中で自分の哲学を「心理学」であると述べている(※1)。 実際、ユングも「ニーチェによって近代心理学を受け入れる準備」をしたと語っている […]
Read more論文メニュー 【論文①】南方熊楠と人類学と心理学 【南方熊楠と人類学と心理学】 神社合祀反対運動に一段落がついた頃、南方熊楠は1911年柳田国男と文通を始める。 そして同じ年に「東京人類学雑誌」に「睡眠中に霊魂抜け出づと […]
Read more伊能忠敬は、1745年に生まれた。 杉田玄白が1733年に生まれ、ルイ16世が1754年生まれているから、その間位の人物である。 千葉県の九十九里浜の近くの町で生まれたようだ。 1742年には、当時江戸と江戸川~関宿~利 […]
Read moreイギリスの国会議事堂(ウェストミンスター宮殿)の有名な時計塔「ビッグ・ベン」。 この「ビッグ・ベン」のデザインを担当したのが、オーガスタス・ピュージンで、彼は大英帝国のゴシック建築の復興(ゴシック・リバイバル)の建築家で […]
Read moreハヤシライスは、慶應義塾の門下生の早矢仕が、初めて作ったという説もあります。 なぜハヤシライスを作られたのか、そしてその作った人は明治でどのように活躍したのか、動画にしてみました。 Hashed beef Rice ha […]
Read more東京の順天堂大学の前身とも言われる千葉県佐倉にあった「佐倉順天堂」。 「佐倉順天堂」を開いたのは佐藤泰然という人で、その息子・佐藤尚中が東京でその「佐倉順天堂」の意思を継ぎ開いたのが、現在の順天堂大学です。 こちら […]
Read more明治の松方正義、大正・昭和の高橋是清といわれ日本財政の守護神と讃えられた是清。 彼の人生は常に波乱に満ちていた。 1880年半ばに、高橋是清が共立学校(現在の開成学校、当時は東大の予備学校に行くための進学校)の校長をし […]
Read more19世紀 アメリカ2018-10-30 「開国はいやでござるよ、ペリーさん。」 、、、高校時代、1853(いやでござる)年ペリー来航の語呂合わせをこう覚え、今も覚えています。 ペリーと言いますと、日本に開国を […]
Read more南方熊楠はアメリカの実学志向に失望し、本当の学問をするべくイギリスに旅をする。するとイギリスでは、東洋や日本というものを意外にも受いれる土壌ができていた。そのため、熊楠は存分に日本や東洋の広範囲に渡る知識を吐くことで、イ […]
Read more熊本藩と言いますと、熊本城をイメージされる方も多いのではないでしょうか。 こちらの熊本城の藩主として有名な人に、加藤清正がいます。 加藤清正と言いますと、虎狩りをイメージされる人が多いと思います。 豊臣秀吉の朝鮮出征に1 […]
Read moreイラストの女性は、19世紀のファッションの新しい時代を切り開く“綱渡し”を行いました。 1858年、フランスのパリのリュー・ド・ラ・ペ(パリの中心部にある現在でもファッショナブルなショッピング街)で、ファッション・ビジネ […]
Read more大隈重信にとっての人生の転機と言われる一番の時期があるとしたら、50歳前半の苦い経験にあるのではないだろう? それは、1889年に黒田清隆首相の元、外務大臣をしているとき、先進国との条約改正を無理やり断行しようとして、来 […]
Read moreイラストは、ゲーテがヴァイマルにきて最初に住んだ家「庭の家」です。緑が綺麗で、イルム川の近くの自然が豊かな中にある家です。 そんな家に触発されてか、ゲーテはこの頃から「植物学」に興味を抱きました。 ゲーテはヴァイマルの庭 […]
Read more「初恋」というと、どのようなイメージを抱きますか? 暗室の実験の中で、「光」の実像を分析したニュートンに対して、ゲーテは、自然光での「光」の観察を最重要視しました。 この話を聞いたとき、僕は絵画の「印象派」が思い浮かびま […]
Read more天才的な人物やその作品を精神医学の観点から論じる医学を「病跡学」と言います。 。。。なんと日本において、初めて「病跡医学」の論文を発表したのは、森鴎外なのです!(※) 森鴎外は1884年からドイツに留学しました。 188 […]
Read moreイラストは、「ソーダファウンテン」という炭酸水を中心として店頭で提供する道具を使って、販売する店員さんを描いたものです。この「ソーダファウンテン」は、ドラックストアで炭酸水を店頭で販売した事から普及したようです。 「なん […]
Read more【エミール・クレペリン 1856~1926】「クレペリン検査」というのを知っていますが?以前は就職試験などに使われていたのですが、単純な線を引く作業を繰り返すことによって、その人の作業の傾向を分析し、その作業から心理傾向 […]
Read more南方熊楠が、1887年に東大予備門(東京大学の予備機関)を中退して、アメリカ・イギリスに向かうことになった理由として、渡米する前の送別会において「進化論」に影響を受けたような内容を語っています(明治19年12月23日松寿 […]
Read more今回は上野~千駄木にある「森鴎外が住んだことのある場所」を案内するとともに、夏目漱石も絡めて、1889年~1906年付近の明治後期の時代を読んで行こうと思います。 そして、それを更に感じるのにオススメな『坊 […]
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