19世紀 アメリカ

「開国はいやでござるよ、ペリーさん。」

、、、高校時代、1853(いやでござる)年ペリー来航の語呂合わせをこう覚え、今も覚えています。

 ペリーと言いますと、日本に開国を迫った方という印象が強いのですが、その前にアメリカ本国で行った業績から「蒸気船海軍の父」と呼ばれています。

 日本でペリー来航の際、黒船の蒸気船であるところに驚いたと言われることも多いですが、ただ蒸気船に乗ってきただけでなく、ペリー自身が実はアメリカ本国で蒸気船海軍の教育や強化策を最初に整え始めた人であり、その流れが日本にたどり着いたと考えると、世界の繋がりがみえてくるような気がします。

 、、、さて、ではなぜペリーをここでピックアップしたのかというと、11月末にアメリカに旅行に行くため、アメリカの食文化を中心に調べていたらペリーを改めて捉えなおす機会に恵まれたからです。

 最初にテキサス州に行くのですが、そこ最大の都市・ヒューストンの都市名の由来になったのは、以前あった「テキサス共和国」の初代大統領の名前に由来するからで、その「テキサス共和国」がアメリカと併合する際、メキシコとアメリカで戦争になりそこでペリーが活躍したという具合からです。

 ペリーの父親はナポレオン世代で、アメリカ独立戦争後のフランスとの戦争に参加しています。そして、ペリー自身はその後のアメリカとイギリスとの戦争において海軍デビューしてメキシコ・アメリカ戦争で活躍し、東アジア艦隊に司令官に任命されて、その流れで日本に来るということでしょうか。

世界史が回りますね。

■テキサス(State of Texas)■

・人口ではヒューストンが州内で最大かつ全米でも4位。

・テキサスの地域を最初に領有主張したヨーロッパの国はスペインで、その後「フランス→メキシコ→1835テキサス共和国→1845アメリカ合衆国28番目の州として併合」。

併合が理由で関係が悪化し1846年メキシコ–アメリカ戦争(ペリーが後に日本に来るミシシッピ号で参戦)。

■マシュー・ガルブレイス・ペリー(Matthew.C.Perry)■

1794年生まれでシーボルトと同世代。

父親は海軍私掠船船長クリストファー・レイモンド・ペリー(※1)で、Quasi War というアメリカ独立戦争後のアメリカとフランスの戦争に参戦。ナポレオン世代。

1809年、恐らく父親の影響力などもあり14歳の若さで海軍士官候補として入隊(※2)。兄ら指揮下の部隊に配属され、ロジャー艦隊に関わる。

1812年、イギリスとの戦争に2人の兄と参加(※3)。

1833年、ブルックリン海軍工廠の造船所長。(※4)

1837年、海軍2隻目の蒸気フリゲート艦フルトン号を建造。大佐へ昇進。

1840同工廠の司令官。

 この辺りでペリーは「蒸気船海軍の父(Father of the Steam Navy)」という名声を経る。蒸気船を主力とする海軍の強化策や蒸気船技術者の集団を組織したり、士官教育にあたり、海軍教育の先駆的なことを行かったらからのようである。蒸気船造船の現場の所長を行っていて、蒸気船を良く知っていたからできたことなのであろう。(※5)

1846年、メキシコ・アメリカ戦争(米墨戦争・Mexican-American War)にミシシッピ号の艦長兼本国艦隊副司令官として、メキシコ湾のベラクルスへの上陸作戦を指揮。後には本国艦隊の司令官。(※6)

※1…Navy Captain Christopher Raymond Perry(1761~)

※2…assigned USS Revenge, under the command of his elder brother. His early career saw him assigned to several ships, including USS President, where several as an aide to Commodore John Rodgers.

※3…Perry continued aboard President during the War of 1812( a conflict between the United States, the United Kingdom).

From 1826 to 1827, Perry acted as fleet captain for Commodore Rodgers.

※4…From 1833 to 1837, Perry spent the years as second officer of the New York Navy Yard (later the Brooklyn Navy Yard), gaining promotion to captain at the end of this tour.

※5…Perry was interested in the  education of naval officers, and assisted in the development of an apprentice system that helped establish the curriculum, at the United states Naval Academy. With the advent of the steam engine, he became a leading advocate of modernizing the U.S.Navy and came to be considered “The Father of the Steam Navy” in the United states.

And he organized America’s first corps of naval engineers.

※7…Mexican-American War :Perry was made second-in-command and captained USS Mississipi.

■サミュエル・ヒューストン(Samuel Houston)■

ペリーと同世代。

父親はアメリカ独立戦争での少佐。

ペリーの初陣の1812年戦争では、第39歩兵連隊に属し、歩兵から軍曹に昇格している。

1835年のテキサス独立戦争では、テキサス軍を率いてメキシコと戦い独立。初代大統領に選ばれる。テキサス州最大の都市、ヒューストンの名前の由来になる。

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