三十年戦争とフランス
三十年戦争にフランスがどのように介入していったか、書いていきたいと思います。 1章・三十年戦争の軍事革命 ■①皇帝軍の徴兵戦略■■②スウェーデン軍の常備軍■2章・フランスの三十年戦争の参入➀遠因 ■①戦争を指揮する僧侶■ […]
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Read more江戸時代、イギリスが東南アジアへの貿易の開拓を進め、長崎にイギリス商館を1613年に開き、日本はジェーズ1世に鎧を贈りました。 同じ頃、北アメリカにおいてはヴァージニアにジェームズタウンという植民地の定着に成功し、その北 […]
Read more1613年、ジェームズ1世の国書を携えたジョン・サーリスのイギリス船が長崎の平戸に着きました。 1600年に関ケ原の少し前にオランダ船が難破して日本に漂着したウィリアム・アダムス(三浦按針)が、1613年の時点ではジャ […]
Read more【1.ルパート王子の生誕から軍隊入りまで】 【ルパート王子(Prince Rupert 1619-1682)】 三十年戦争の発端となったのが父親で、皇帝に即位したばかりのフェルディナンド2世を差し置いてボヘミアに王にな […]
Read more「我思う、故に我あり」で有名なデカルトですが、その結論を得るための冒険にでるきっかけとなったのは30年戦争の中での出来事です。 30年戦争は、1618年、神聖ローマ皇帝フェルディナンド2世とファルツ候フリードリヒ5世 […]
Read more経済学は、解剖学の教授によって作られました。 古典派経済学を誕生させたとされるウィリアム・ペティはかつて解剖学の教授でした。若き頃、当時解剖学が進んでいるオランダの大学に行って、解剖について勉強しました。また、イギリスに […]
Read more熊本藩と言いますと、熊本城をイメージされる方も多いのではないでしょうか。 こちらの熊本城の藩主として有名な人に、加藤清正がいます。 加藤清正と言いますと、虎狩りをイメージされる人が多いと思います。 豊臣秀吉の朝鮮出征に1 […]
Read moreデカルトは心理学者でもあった? デカルトの晩年の著作に『情念論』という著作があります。 そこでは、喜怒哀楽などの感情についてや脳の機能など、心理学的なテーマを扱っています。 上のような図(※1)を見ますと、まさに感情を扱 […]
Read more岡田准一主演の映画『関が原』を観てきました。 関が原の戦い自体をスポット当てた映画は、日本映画史上初めてだそうです。 意外にも徳川家康ではなく、適役の石田三成を中心にストーリーが展開していきます。 秀吉が作った秩序を、石 […]
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