無人島に一人で生き延びた男、ロビンソン(ロビンソン・クルーソーの主人公)。

そして、可愛さゆえにちやほやされ、後には凄腕スリ師にもなった、モル・フランダース。

共に、ダニエル・デフォーというイギリス人によって描かれた物語の主人公です。

二人の主人公に共通していることは、共にジェントルマン・レディという支配階層になることを強く表明している点です。

当時、大きな都会ができることによって、難しいながらも有閑階級になる道が開かれてきていたのです。

【1.都会の成立とジェントルマン階級への道】

都会の条件とも言える「匿名性」が芽生えた都市が、イギリスに登場し始めたのは16世紀のロンドンにおいて。そして、2人の主人公の時代、18世紀には年間8000人くらいが移住するような大都会となっていきます。

都会が形成されてきたという事は、原料を作り出す農業だけでない、他の職業のニーズが増えてきたという事です。そのため、地主以外でも商業や金融などでも成功すれば有閑階級に仲間入りするチャンスがでてきたようです。

事実、ロビンソン・クルーソーの主人公も原作では無人島に行く前は、奴隷貿易で一旗揚げてジェントルマン階級になることを目指していました(そのため南米の島で漂流するようになる)。

【2.ロビンソンのモデルとアン女王戦争】

さて、『ロビンソン・クルーソー』のモデルとなったと言われている人物として有名なのが、アレキサンダー・セルカークという人で、イギリスがフランスとカリブ海から南米辺りでアメリカ大陸の貿易権に関する戦争(アン女王戦争)に参加したイギリス公認の海賊船(私掠船)に乗った人でした。

ロビンソンが最初に始めた奴隷貿易も、アフリカ大陸から奴隷を調達し、アメリカ大陸で砂糖などと交換し、ヨーロッパに持ち込む「三角貿易」の一端であり、当時はその「三角貿易」の利権を争ってイギリスの女王の時代にフランスと戦争をしていたのです。

イギリスは16世紀あたりからスペインが独占していたアメリカ大陸の貿易に割り込むために海賊を内密に公認して、スペイン船を襲わせて利益を上げていました。この1702年に起こったアン女王戦争においても、海賊を内密の内に公認してフランス船などを襲わせていました。

そのフランス船を狙った公認の海賊船に乗っていたのが「ロビンソン・クルーソー」のモデルとなったセルカークであり、彼は南米辺りで仲間といざこざを起こし、無人島に置き去りにされたのです。但し、4年後無人島を抜け出すきっかけとなるのも、同じように4年後もまだ続いていたアン女王戦争に参加していたイギリスの公認の海賊船によるものでした。

【3.ロビンソン・クルーソーの作者】

そのアン女王戦争に参加して、無人島生活を送ることになったセルカークの航海記が1713年に紹介され、それを読んだダニエル・デフォーがそれをヒントの一つとして1719年に『ロビンソン・クルーソー』を執筆したと言われています。

そして、その作者デフォーはすこし前まで「アン女王戦争」の「アン女王」の下でスパイ活動の元締めをしていて、アン女王時代にはスコットランドにスパイとして潜入しイングランドとスコットランドの合邦に一躍買ったと言われています。

デフォーは1660年生まれで、ニュートンへの良き助言者で「ハレー彗星」で有名なエドモンド・ハレー(1656年生まれ)と世代的に近いです。

デフォーは、もともとロンドンの肉屋の息子でしたが、1685のジェームズ2世の祖国反対したジェイムズ・スコットの反乱に参加したことから政治活動が始まりました。1688年にジェームズ2世を王位から剥奪した名誉革命においては、その後即位するウィリアム3世・メアリー2世を出迎えています。

しかし、ウィリアム3世が1702年に死去し、その後即位したアン女王のときは不安を感じて抗議運動などをして捕まってしまいます(ちょうどこの辺りからカリブ海周辺ではアン女王戦争が始まっています)が、捕まった後のさらし台での演説において、アン女王の下で重要な役割に合ったトーリー党のハーレーの目にとまり、政府の広報をする週刊誌やスパイ活動の元締めをするようになり、そこでイングランドとスコットランドンの合邦の一助となるのです。

ただ今度は、1714年にアン女王が亡くなると、立場が危うくなりましたが、新しい王ジョージ1世のもとで政権をとるホイッグ党に、以前のスパイ活動を継続することを条件に作家活動を初めて、『ロビンソン・クルーソー』が大成功して作家として一躍有名になったようです。そして、1722年にもう一つの有名な著作『モル・フランダーズ』なども書きました。

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