「初恋」というと、どのようなイメージを抱きますか?
暗室の実験の中で、「光」の実像を分析したニュートンに対して、
ゲーテは、自然光での「光」の観察を最重要視しました。
この話を聞いたとき、僕は絵画の「印象派」が思い浮かびました。
部屋の中で写実的に完成度が高い絵を追求していた当時に対して、屋外に出て多少完成度が低くても自然光の中で受けた風景の印象を重要視したのが「印象派」だったのです。
それはさておき、ゲーテも自然光での「光」の観察を最重要視しました。
自然光で最も幻想的な「光」の一つと言えば「虹」です。
そのため、ゲーテも「虹」の観察にも力を入れて、様々な作品に虹をモチーフにしてイメージを描き出しています。
初恋もゲーテは「虹」で表現しました。
当時シュトラースブルク大学に通う学生ゲーテは当時の恋人フリーデリーケの頭上に美しい二重の虹が架かったのを観ました。
「今まで見たどれよりも壮麗で、色鮮やかで、際立っていたが、同時に最も短く儚いものだった」
。。。と言います。
そうして二人の清らかな恋も夢のように短く、儚く終わりを迎えてしまいました。
そんな初恋の思い出の場所・“シュトラースブルク”ですが、ゲーテはマリー・アントワネットとも接点を持っています。
シュトラースブルクはオーストリアとドイツからフランスへ入るときの国境の場所に位置しています。
そのため、マリー・アントワネットが1770年ルイ16世と結婚する際、オーストリアの母マリア・テレジアの宮廷から出発し、この国境の都市・シュトラースブルクを通ったのです。
しかも国境であるため、仮にフランス王妃としてフランスに入国するのであれば、すでに結婚してなくては入国できません。そのため、シュトラースブルクで書面上の手続きを行い、代理結婚を行ったのです。
その代理結婚を行うために建てられた仮設の建物に、ゲーテはマリー・ アントワネットが入る前に、様子を探るため、見学をしています。
そして、実際マリ―アントワネットが代理結婚する一行を観たのです。
マリー・アントワネットとゲーテはその後直接接点を持つことはありませんが、間接的に影響を受けています。
1892年、3年前に起こったフランス革命の影響で、革命政府によりマリー・アントワネットの命が危うくなった時、マリー・アントワネットを助けるべくフランスに戦争を仕掛けたスウェーデンやオーストリアを発端に始まった「フランス革命戦争」。神聖ローマ帝国の軍事的に重要な役割を担う国首の側近とも言えたゲーテもこの戦争に参加しています。
そして、その戦争の流れの中で、トゥーロン港で活躍始めたナポレオン。フランス革命の精神を曲にしたベートーベン。この二人とも、ゲーテは後々関わっていくことになるのです。
イラストは、ゲーテの初恋の人・フリーデリーケをイメージしたものです。