天才的な人物やその作品を精神医学の観点から論じる医学を「病跡学」と言います。

。。。なんと日本において、初めて「病跡医学」の論文を発表したのは、森鴎外なのです!(※)

森鴎外は1884年からドイツに留学しました。

1884年のドイツと言いますと、、、「心理学の分野」ではヴントが1879年にライプツィヒ大学で初めての心理学の実験所を作っています。また、「精神医学の分野」では、エミール・クレペリンがヴントの研究所で働いた後、精神病の流れを変える分類(「早発性痴呆」と「躁鬱病」の2大分類)を行っています。また、精神分析で後に有名なるフロイトは、隣ウィーンにおいて1884年からヒステリーなどの精神病を治す薬としてコカインに着目し、有名になりつつあります。

・・・このように、当時のドイツは心理学や精神医学にとって、パラダイムの変換が行われつつある時代でもあったと思います。

今回は、そのような時代の空気を「ドクトル(医学者)」としてどのように森鴎外はその流れを感じたのか、森鴎外が「病跡学」のテーマで触れた2人の人物を紹介するとと共にイメージしていきたいと思います。

【1】「病跡学」という言葉を提起した「精神科医メビウス」

「小説家とか詩人とかいふ人間には、性欲の上には異常があるかも知れない。…メビウス一派の人が、名のある詩人や哲学者を片っ端からつかまえて、精神病者として論じているも、そこに根底を有している」(『ヰタ・セクスアリス』より)

…と鴎外は著作で触れている精神科医メビウスとはどんな方だったのでしょうか?

「メビウス」という名前を聞くと「メビウスの輪」を思い出す人も多いかもしれません。その「メビウスの輪」を唱えた数学者フェルティナンド・メビウスの孫にあたります。

1853年生まれで、1856年に生まれたフロイトやエミール・クレペリンとほぼ同世代になり、近代心理学の登場と、精神医学の発展に貢献した世代と言うことができます。またメビウスの事をフロイトは非常に高く評価しており、ドイツ語圏の世界では初めて病気の心理的原因を仮定し、電気療法による治療の研究を行ったため、「心理療法の父の一人」と呼んでいます。

また、メビウスは精神疾患の発症の仕方を理解するための先駆的な研究をしました。彼は、フロイト世代が最も精力的に取り組んでいた「ヒステリー研究」においては、病因は外因性および内在性の神経障害を区別することが必要と説いたことで賞賛されています。

更にその研究は同世代で友人でもある「エミール・クレペリン」の精神病の分化と体系化の重要なアイディアを与えることになります。「エミール・クレペリン」の1899年の体系化は現在の精神医療の診断のベースとなる『精神障害の診断と統計マニュアル(DSM)』に多大な影響を与えたものとされています。

また1888年には顔面神経麻痺と近い「メビウス症候群」を記述しています。

・・・このように、森鴎外が受けたドイツの時代の空気の一つに、精神医学において精神病には神経科学から発し、複雑な心的なメカニズムによって引き起こされるという解釈を盛んに行い始めた時期であり、その治療方法を模索した時期でもあったわけです。

その中の研究の一つとして、天才などの精神状態を分析する「病跡学」があったと考えることができます。

【2】近代病跡学の祖「ロンブローゾ」

「ロンブローゾが1864年に始めて表した『天才と狂人』は近世科学の基礎の上に、…(精神的な)病だとする思想を発展させようと試みたものである。」(『天才と狂人」序)

…と鴎外が著作で触れているロンブローゾは近代病跡学の祖と呼ばれています。

彼は1835年生まれであり、1836年生まれの坂本竜馬などと同じ世代で1862年生まれの森鴎外にとては少し前の人であったとも言えます。そのため、1886年の時点では50歳すぎであったため、まとまった研究なされていたと考えられます。しかし、ドイツ人でなくイタリア人です。

彼は犯罪者には「特有の先天的な精神状態」があるということを、統計によって実証的に証明した人として有名です。

その裏返しとして、天才も「特有の先天的なもの」があると考えたのだと思います。そして、その流れから、天才の「特有の先天的なもの」を探す「病跡学」が生まれたのだと思います。

1864年に『天才と狂気』(森鷗外が後に簡単に翻訳し紹介)を、1876年には『犯罪人論』を発表し、この考えを提唱しています。

またこの「特有の先天的なもの」を探すという考えは、19世紀はじまり辺りから、研究が盛んにおこなわれてきたものでした。「骨相学」という体の形状から内面の精神状態を見つけるもの、また19世紀半ばに出てきた「進化論」も優勢的な遺伝子を探すという流れが生まれて更に盛んになりました。ロンブローゾより少し世代前の心理学の黎明期の人物「ハーバード・スペンサー」も骨相学の影響を受けて、「進化論」の考えを社会に適応したりしています。

また、近代心理学の実験所を作った人物としてヨーロッパではヴントが有名ですが、同時期にアメリカで心理学の実験所を作ったウィリアム・ジェームズという方がいます。彼は1842年生まれなので、ロンブローゾと近いです。ウィリアム・ジェームズは後年スピリチュアル的なものに影響を受けていくように、ロンブローゾも後年交霊会などに参加しています。因みにユングもこの時期にあたりにスピリチュアルに影響を受けています。

そして、そのウィリアム・ジェームズの心理学とスピリチュアルの著作に影響を受けた人に「夏目漱石」がいます。

そう考えると、森鷗外がドイツで空気を感じ、日本にも持ち帰ってきた精神医学などの流れは、その後の日本の空気の流れに繋がっていくのかもしれませんね。

ちなみに、大正時代になるとロンブローゾの考えをベースにした犯罪学が日本で流行することになります。

文京区森鷗外記念館 特別展『ドクトル・リンタロウ 医学者としての鷗外』のパンフレット を主に参考にしてこの記事を書きました。

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