フィリッポ・ブルネレスキ

1377年生まれ。フィレンツェの公証人の息子として生まれる。

① サンジョバンニ洗礼堂の北側扉の装飾コンテストでの敗北

フィレンツェの金細工師になる。
そして1401年サン・ジョバンニ洗礼堂の北側の扉の装飾コンテストでる。ブルネスキも優勝候補で、ライバルに5歳くらい年下のギベルティがいた。全員で7名の参加だったようだ。
サン・ジョバンニ洗礼堂はサンタマリアデスフィオーレ大聖堂の前に立っている洗礼堂である。ダンテが洗礼を受けたことなどでも有名である。
結果的には、ブルネレスキもギベルティもとても良い出来で引き分けのような感じだったが、ブルネレスキ本人がギベルティの方が良いものだと評価し、選考委員会にそう告げて、勝ちを譲る。
その後は、サンタマリアノッヴェラ聖堂(のちにアルベルティがファザードを作ったことで有名)のキリストの磔刑像を作るったりしてフィレンツェで活動していた。
このキリスト像は同じくフィレンツェで活動してサンタマリアデルフィオーレ大聖堂のファザードの装飾などをしていてた10歳くらい年下のドナテッロのサンタマリアクローチェ聖堂の磔像に影響したようだ。

② ローマに建築法を学びに行く

その後、数年後サンタマリアデルフィオーレのクーポラ(屋根みたいな部分)の作成者募集がかかることを耳にして、それまでの期間勉強することにした。

そこでドナッテロを連れてローマに古代の建築法の勉強に出る。

中世のゴシック建築やロマネスク建築はあまりローマやギリシアの建築法は継承しなかった。そこで遺跡などの発見が進み、またギリシアの情報が東方貿易との活性化などで入ってくるようになって、その時代の理解も進んだのだ。
古代の建築で学んだもので有名なのがオーダーという柱と天井を結びつける部分の工法である。柱と天井を結びつけるためそこには適切な比率があると考えた。また、地域による装飾の違いなども学んだ。

③ サンタマリアデルフィオーレ大聖堂のクーポラ作成

そしてついに1418年サンタマリアデルフィオーレ大聖堂のクーポラの作成者のコンテストが行われる。

10数年前サンジョヴァンニ洗礼堂で敗北したギベルティには装飾では負けたが、建築の工法などはブルネレスキが群を抜いていてブルネレスキが選ばれた。
しかし、完全にはブルネレスキに任せてもらえず、ギベルティと共に共同制作者という名目で進めるようになってしまった。
そこでブルネレスキはギベルティを困らせるため、事あるごとにブルネレスキの方が優れていることを示したらしい。

因みにブルネレスキが群を抜いていたと思われた部分には、内部から建築するという工法が顕著であった。
従来は外枠を作って建築するという方法が主流だった。
しかし、サンタマリアデルフィオーレ大聖堂はフィレンツェどこからでも見えるようなモニュメントにするとても大きな建築、外枠を作るのは大きさ的に難しかった。
ブルネレスキは以前から内部から作る建築法を成功させていて信頼を得ていて、更にサンタマリアデルフィオーレ大聖堂にうってつけの建築法であったため選ばれた。

また物を持ち上げる機械を作ることも群を抜いていた。歯車をうまく組み合わせて、従来より少ない力で重い材質を持ち上げることを可能とした。
レオナルドダヴィンチも後年、ブルネレスキの工法をスケッチしている。

④ 新プラトン主義

こうしてフィレンツェの街どこからでも見える巨大なモニュメントが出来上がった。

しかしこのモニュメントは単にランドマークとなるだけでなく、数字による街の支配という新プラトン主義の理想を実現するものであった。

プラトンとはイデアという理想の世界があり、それを基準をとして政治をすべきだと述べた人である。そして理想的な世界として数字がある。数字は計算することで必ず同じ答えがでるためだ。そのため、新プラトン主義では数字を基準として政治を執ることを良いものだとした。

ではどこがサンタマリアデルフィオーレ大聖堂に数字の要素があったのだろうか?

それは、比率である。
サンタマリアデルフィオーレ大聖堂はいたるところで理想的な建築としての比率を計算して作られていた。

またこの芸術に数学を利用して、世界を数字で支配するという発想は、少し前からフィレンツェなどのイタリアで流行っていた。
それはブルネレスキ自身が発見したともいわれる遠近法がきっかけと言われる。
絵画は3次元な世界を2次元であるキャンパスに投影することで成立する。そして視点を動かさないでキャンパス上に画面を投影すると、背景はある一点に向かって小さくなっていく。この小さくなる様は、視点の位置と対象との距離から角度を求め比率に還元することで、数学で求めることができる。つまり、世界はキャンパス上に数学によって正確に再現することができるのだ。

この数学による世界の芸術への投影した建物が、フィレンツェのあらゆる位置から見えるということは、この数学の支配が及んでいるということを示している、と考えたのだ。
ちなみにクーポラの屋根の傘上の形もフィレンツェを傘のようなもので包み込むというイメージのようだ。

つまり、新プラトン主義の一つの実現がブルネレスキのサンタマリアデルフィオーレ大聖堂であったのだ。

※『都市デザインの系譜』相田武文・土屋和男/SD選書/1996.12.25をベースに執筆。

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