フィチーノと新プラトン主義
イラストの登場人物は左がフィチーノ、後ろがプロチノス、前がプラトン、右がプレトンとなっています。 【フィチーノ伝① フィレンツェ公会議】 1439年のフィレンツェ公会議を契機に、今まで古代ギリシアの古典というと「アリスト […]
Read moreイラストの登場人物は左がフィチーノ、後ろがプロチノス、前がプラトン、右がプレトンとなっています。 【フィチーノ伝① フィレンツェ公会議】 1439年のフィレンツェ公会議を契機に、今まで古代ギリシアの古典というと「アリスト […]
Read more①ミラノ時代のダ・ヴィンチ チェーザレ・ボルジアとは、教皇アレクサンデル6世の息子で、もともと枢機卿であったのだが教皇庁の軍司令官となった人であり、後にマキャベリが『君主論』の理想の一人として挙げる人物である。 そのチェ […]
Read moreルネッサンス芸術の黄金期のフィレンツェを作ったとも言われる“ロレンツォ・デ・メディチ”、またの名を「豪華王」と呼ばれた人。 といっても、意外と直接フィレンツェで花開いた歴史に残る芸術作品に直接パトロンとして関わった作 […]
Read moreウィトルウィウス的人間像が描かれたのは1490年代のレオナルド・ダヴィンチのミラノ時代と言われている。 ウィトルウィウス的人間像は様々な解釈があるが、単純に古代ローマの建築家・ウィトルウィウスの考えから考えれば、人体のプ […]
Read moreルネサンス期のイタリアでは、傭兵による戦争がメインとなっていた。 その理由の一つは、イタリア全体をまとめる勢力がなくなり多くの都市国家によって運営されたところにある。ドイツ皇帝の影響力が薄れ、法皇が俗権を振る始める内に […]
Read moreルカ・パチョーリは、レオナルド・ダ・ヴィンチと一緒に本を書いた人として有名で、また「複式簿記」をいち早く多くの人に普及させた人として「会計学の父」とかも呼ばれる人です。 ■①複式簿記の著作について■ 「複式簿記」が収録 […]
Read more【フランチェスコ・スフォルツァ】 有名なミラノ大聖堂を作ったガレアッツォ・ヴィスコンティの息子マリーア公の傭兵として1425年くらいから活躍しつつも、1430年代から教皇やフィレンツェ・ヴェネチアの支援なども行いミラノ […]
Read moreレオナルド・ダ・ヴィンチはミラノにおいて、都市計画に携わっていました。 そのときミラノではペストが流行っていて、ダ・ヴィンチは過密して立ち並ぶ建物が作り出す不衛生な環境を改善するために、建物を分散させる都市計画を提案 […]
Read moreほどほどの勝利で満足する者は、常にそこから利益を手に入れる。 ―しかし、徹底的な勝利を望むものは、しばしば敗北する。(※1) …この言葉は、イタリア・フィレンツェ・ルネサンスの芸術をパトロンとして保護し、花咲かせた一族で […]
Read moreミケランジェロは、「終始一貫自己を画家また彫刻家また建築家として芸術家としてよりもフィレンツェ自由都市市民として最も高く意識していた(※1)」。その理由として、ミケランジェロの家系が関係する。しかし、その自由市民としての […]
Read moreフィレンツェの芸術の黄金時代を作った統治者ともいえるロレンツォ。その彼の父親のピエロは、ロレンツォが「豪華王」と言われているのに対して、「痛風持ち」なんてありがたくない通称で呼ばれています。そしてピエロの父親であるコジモ […]
Read moreフィリッポ・ブルネレスキ 1377年生まれ。フィレンツェの公証人の息子として生まれる。 ① サンジョバンニ洗礼堂の北側扉の装飾コンテストでの敗北 フィレンツェの金細工師になる。そして1401年サン・ジョバンニ洗礼堂の北側 […]
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