栄養学への興味は、ブリアサヴァランの『美味礼賛』の科学的姿勢から、食生活について学ぶ方向性は栄養学にあると考えたところか始まります。
当時は博物(界網目属科)と品種(種)と解剖(種)で食品の知識をまとめられる思ったことにあります(当時は、体系を作ることが知識の目的で、生きる上で役に立つと考えていました)。
栄養大学受験を考え始めたのは2009年11月でしたので、その頃が始まりとなります。
因みに東京農大を選んだのは、2010年6月頃になります。それは鈴木梅太郎の栄養学に影響されていた部分があり
2010.3半ば~5月
鈴木梅太郎と池田菊苗に興味。
2010.3.31
『新訂栄養読本』鈴木梅太郎・井上兼雄S16.7.20日本評論社
『おいしさの秘密!』伏木亨、飯島奈美(共著)のグルタミン系を抜書
2010.5.16川島四郎『食べ物さん、ありがとう』を抜書
2010.6月半ば
栄養学として川島四郎、香川綾、佐伯矩を注目するようになりました。
2010.8.1 佐伯矩の伝記を抜書
8月には調理師を受けることを保留して、農大構想に重点を置いています。
10.28 『食べ物さん、ありがとう』を抜書
2010.11.21 東京農業大学短期大学部栄養学科受験
面接において、大東文化大学時代のころの話になり、学問を深めるために大学の単位を早めにとり大学3年の後半から大学4年にかけて大学の授業をほとんど受けずに就活など社会勉強に費やしたと話したところ、面接の方は学問の業績としては研究して論文書くすることにあると考えていたため「馬鹿なことをしたね」と言われました。
また就職難の時代に、大学へ投資することの意義を感じられないとも指摘され、結果的には失敗でした。
●受験論文「食料自給率の現状と伝統的食文化についての意見」
食料自給率の低さを指摘し、それによって得た➀多国の食文化の日本での共存と②チェーン店による食の選択権を獲得したと論じ、更に伝統的食生活は地方で維持と指摘しました。
農大を受験した時には、栄養学は細菌・植物・動物・人間が作用し合い、どのように栄養学に結びついていくのか、つまり生産・流通・消費の中でどのように食生活を模索し描いていゆくのかというものをイメージしていました。そのため、農学の中の栄養学を選んだということになります。
細菌などはパスツールやコッホなどを読んでいました。