なぜ学問の本質は「心の変容」と考えるようになったのか?

そんな想いを論じていきます。

■①学生時代の志■

高校時代

もともとは学問をすることに目覚めたのは、2003年の高校時代の事ですが、鬱になるほど精神的に不安定になって、直観的に科学に突破口を見出し、学問は生涯を通してやる価値のあるものと思ったのがきっかけです。

ただ、当時は科学を学ぶことによって世界の仕組みを知れて全知全能に近づき、世の中をもっと生きやすくなるだろう考え方でした。

しかし一方で、完璧な存在になることには憧れておらず、完璧を目指すために努力しつづける道を考えていました。つまり、「全知全能」を目指しつつもそうなることは望んでいないという矛盾がやがて、現在の「学問のモデル」までの変化を促したのだと思います。

大学時代

大学に入ると科学によって法則や仕組みを知るだけでなく宗教や哲学・道徳・歴史も含むのが「学問」なんだと知り、体系を学ぶことよりも「精神が体系を作り出し、その精神を含めて学ぶことが「学問」だと思うようになりました。

ただそれによって学ぶ分野は広くなったのですが、基本的に知識を学び、それを要約や図式化や分類などをして自分の中に整理して「道具箱」にする側面は変わっていなかったのです。結局、知識を広げることでより色々なことができるようになったり、新しい知識を学ぶ吸収力に繋げたりすることを目指したり、世界を体系的に説明できるようになることを目指したり、基本的に「学問」によって「全知全能」(超人とも)になることを目指したのは変わりありませんでした。

そして、社会人になりが学問の在り方を考えて約13年、2021年6月になりようやく、学問の目的は「全知全能」ではなく、「心の変容」を促すことが核心だと気付くようになりました。つまり、今まで「目的を達成するために努力することを美徳」としていのが、「自分で方向を設定して、努力によって変化する過程を美徳」と考えられるようになったのです。

■②変化のための3ステップ■

そのような「全知全能」に近づき「超人」もなることから、「心の変容」という方向に学問の目的が変わっていったのは、社会人になり学問自体はあまり人前には出さず、個人の啓発という側面に比重を置いて長年やり続けてきたことが一番の要因だと思います。

多くの知識を得てみて生かしてみても認められない状況や、色々な方向で学んでみたところで果たして本当に自分自身の生きやすさに繋がっているのかという疑問の問答を繰り返してきたためです。

第一ステップ:精神が体系を作るという考え

変化してきた第一ステップ2010年の「3つのレベルの学問」と「普及考証」「博物抜書」、そして「ライフワークとしての学問」という考えを見出したときでした。

「3つのレベルの学問」とは、学問を3つに分類する事で、第一の学問が現実の問題を解決する策を見出すもので、第二の学問はそれの解決策を見出すための参考になる法則やメゾットの体系で、第三の学問はその法則やメゾットを作り出されてきた人や場所・歴史をフォーカスするものでした。

これは、大学時代の歴史という分野が科学で体系することによってとらえられるものではなく、どのように扱うのが適切か考えたことが大きいと思います。また精神によって体系が作られているため、体系の構築だけでなく精神の変化を歴史によって追っていかなければならないと考えたことも大きいと思います。

そして、3つに学問を分けた際、第二の学問は記述を抜書して整理し分類し体系的にまとめることが適切だと考える「博物抜書」という手法が適切で、第三の学問は「場所・人・時間」を確定させてさまざまな確定させた地点の繋がりを考察する「普及考証」という手法が適切だと考えました。

そして、その「3つの学問」をやり続けることに意味を見出したのが「ライフワークとして学問」でした。

第二のステップ:未完の貢献

次の変化が起こったのは2016年でした。

今まで、基本的に過去に起こったことを分類してまとめ足りすることが学問のスタンスでした。自分の人生を振り返るさえも、過去のこの時期はこういうテーマ性がありこの時期のテーマに移行したみたいなことは考えていたのですが、将来のプランというか予言というものは基本的に漠然としたものでした(貧弱でした)。

しかし、この2016年に多くのさまざまな社会人の方とプライベートで関わる機会があり、またその社会人の方が自分の能力を生かしてセミナーやセラピー、事業などをしている様をみて、自分自身もそのように自分自身を表現したメディアのようなものを作らなければならいと思ったのがその原因だと思います(フェイスブックでの多くの人が発信している様などをみたりもして)。

そして、自分自身の将来の5~10年ごとのスパンのプランを立てる「シナリオ・プラン」を実行するようになりました。

また今まで学び終えた後に、その学びを使って周りの人に影響を与えると考えていたのですが、学んでいる状態を共有(シェア)することによって自分自身も周りの人もの互いに成長するという手法があることにも気づきました。

こうしてなりたい自分自身の「シナリオ・プラン」に合わせて、自分自身の学びをフェイスブックなどで作品にしてシェアする事で、自分自身も周りのひとも成長するというモデルを構想するようになりました。

これはある意味では「未完」による貢献ということでもあり、「全知全能」を目指すのは「完成」した自分を生かすという発想だったので、「全治全能」モデルの崩壊に繋がっていきました。

第三のステップ:推理の発見

そして今回の心の変容に結びついたのは「推理の発見」が大きかったです。

推理とは、ある物事から仮説を導くことです。

【推理の意味】

ただ一般的に仮説を導くことに意味を持つのは、真相を暴いたりする根拠となるときです。そのため、真相を暴くための根拠となる仮説を導くことが推理となります。

ではなぜ真相を暴く推理に意味があるのかというと、それは事件など現実的な物事を解決すると共に、自分自身が信じていた事などが覆らせられ感情を揺さぶるからです。

つまり、推理というのは、行う事によって常に心の変容を起こし、新しい自分に生まれ変わる行為なのです。

【推理に辿り着いた過程】

何故推理を考えてみたかというと、今までの「精神が体系を作る」という考えと「未完の貢献」という考えが発展し、推理という行為にたどりつき、そこで改めて学問の意味に変換してみて「心の変容」に辿り着いたからです。

まず「精神が体系を作る」という考えから、興味がもった対象を「場所・人・時間」で確定し、さらに「場所・人・時間」それぞれを「要素分解」し、他の確定された対象の「要素分解」と繋げることで、学ぶ方向性を作り出し、その繋げるツールが「推理」だと気付きました。

更に「未完の貢献」という考えから、この「場所・人・時間」それぞれを「要素分解」して繋げる「推理」という作業をSNSや文章などで作品としてまとめることで、昔行った作品も振り返られるようになり、昔の記憶の「追憶と邂逅」が新しい自分を作っていくと気付いたことです。

【得た結論①:知識の「開拓」と「深化」】

こうして「推理」を「知識の「開拓」と「深化」」として考えるようになりました。知識を「要素分解」して広げる行為を「開拓」。広げてたどり着いた知識をまた違う方向から捉えなおす行為を「深化」と呼びました。

これをもう少しかみ砕いて説明すると、真実を暴くために影響した要因の「要素分解」を行い新しい分野を推理する事を「開拓」、その「要素分解」同士のつながりを予想し、そのつながりの予想が正しいか答えとなる証拠を探すのを「理解」と考え、その「理解」を違う知識によって「開拓」されたものから改めて解釈する事を「深化」と呼びます。

ポイントとしては「丸暗記」の境界線と「理解」の境界線は、仮説を立てて答え合わせを繰り返した回数に比例して、理解の方向に進んでいくということです。つまり、「暗記」に近いような形で「開拓」し、「理解」を深め、他の方向からも「理解」を深め「深化」を促していくのです。

【得た結論②:焦点化】

この「知識」の定義は「人の記憶の仕方」と密接に関係します。

人は目的を持って記憶を基本的にする生物です。目的や興味を持って「焦点化」すると、目的を持った方向に感度が上がり、記憶を保持するだけでなく、人格の形成などにも影響します。つまり、この感度の上がった記憶を、違う目的から同じ記憶を捉えなおすことにって、新し自分に変化することを促すのです。

【得た結論③個別・抽象バランス】

また、推理を見出すのに「歴史」を勉強していたため、個別の事例に触れる機会が多かったというところも関係します。

人は個別の事例に触れない限り、抽象的な解釈を聞いた際、自分の体験をベースに解釈してしまいます。それを個別の事例に触れることによって、その抽象的な個人体験による解釈による「推理」と、個別の事例によって得られる事例の「推理」の比較が行われるようになります。これもある意味では「深化」です。

この個別の事例の重要性は、あくまで抽象的な説明の個人ベースの解釈と「推理」の比較が起こり、「深化」まで辿り着くというところです。「推理」は抽象的な説明と個別の説明両方があって深まっていくのです。

「抽象的な説明」は知識の体系化に繋がるというところが大切です。知識を体系化することによって、個別の事例を学んでいく道しるべを導いていくという効用があります。

そして「個別の事例」は抽象的な体系化に「推理」を深めさせる効用を持っていて、体系化されたものをより具体的にイメージすることができます。また「抽象的」解釈は「個別の事例」によって具体的に想起されるというところもあります。

…こうして「知識の「開拓」と「深化」」は、「焦点化」と「個別・抽象のバランス」によって具体的に効用を考えるようになり、人生の感受性を変える結論へと導きました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です