ウィトルウィウス的人間像が描かれたのは1490年代のレオナルド・ダヴィンチのミラノ時代と言われている。

ウィトルウィウス的人間像は様々な解釈があるが、単純に古代ローマの建築家・ウィトルウィウスの考えから考えれば、人体のプロポーションを図式化したものとなる。

ウィトルウィウスよれば、人間の中に秘められた完全な形として円と正方形を読み取り、へそを両方の中心にしたようである。ただ、ダヴィンチは人間の伸長に対する中心は経験的にへその下のあたりだと感じてウィトルウィウス的人間像では正方形の中心はへそではない。

正方形は腕を伸ばした横の長さと身長は同じ長さになるという考えだが、他にも肩幅は身長の1/2とか、掌の長さは4本指の幅と等しいとか、多くの人体の比率を含意しているものだと思う。

【1・建築家マルティーニ】

そしてそのような人体のプロポーションを深く考えるようになったきっかけとして知られるのが、ミラノでダ・ヴィンチと親交のあった建築家マルティーニといわれる。

 マルティーニはもともと1482年に亡くななったフェデリーゴ・モンテフェルトロが治めていたウルビーノにいた。フェデリーゴ・モンテフェルトロがいた頃のウルビーノのは当時のイタリアでは最も文化水準が高いと頃で、ウルビーノには当時の著名な芸術家が集まっていた。ウルビーノのドゥガーレ宮殿にあったモンテフェルトロの収集による蔵書がベースとなった図書館はヨーロッパで一番品揃えが良いとも言われたほどである。

 そして、フェデリーゴ・モンテフェルトロが亡くなり、フェレンツェもそうだが、フェレンツェに対抗するように文化水準の向上に努め、実質的に政権を担っていたロドリーゴ・スフォルツァのミラノこそが1480年代後半から1490年代にかけてイタリアでもっとも文化水準の高い所となっていた。

 その頃のミラノには、1480年代にレオナルド・ダヴィンチがいて、14世紀末ぐらいから建設されていたミラノ大聖堂のティブリオの設計案を考えていた。レオナルド・ダヴィンチはミラノに来てから、ミラノの地図を作ったり都市計画を作る仕事もロドリーゴから与えれて活動していて、今回のミラノ大聖堂のティブリオの建設にも参加していたのだ。

 ミラノ大聖堂のティブリオは1480年代半ばあたりから何人かの建築家が挑戦したものの規模がでかいためヒビが入ってしまったり失敗に終わっていた。そのため、ミラノの中で建築のコンペを行い、案を募っていたのだ。

 ダ・ヴィンチは『建築家レオナルド・ダ・ヴィンチ』(長尾重武・著)によると手記の中で建築方法を試行錯誤した形跡があり、4本の柱をメインとして12本の柱に重荷を分散させる方法を考えたようである。

 そして、後にローマなどで活躍する当時ももう著名であったブラマンテがそのコンペの案を取りまとめる役を行っていた。因みにブラマンテはウルビーノ出身である。

 しかし、なかなか決定打にはいたらず、1490年6月経験豊かな建築家マルティーニをミラノ公であるジャン・ガレアッツォ・スフォルツァが招聘し、結果マルティーニがレオナルドの考えなども踏襲しつつ最終的な案を出している。

 そんなマルティーニとダ・ヴィンチは同じ6月に二人でパヴィア大聖堂を訪れている。それは、ミラノ大聖堂のティブリオの案をまとめていたブラマンテが、パヴィア大聖堂の建設を手をかけていたのでそれを視察にいったようである。パヴィアはミラノを領主のヴィスコンティ家時代からミラノと同じくらい力をいれて育てきた都市であり、その大聖堂を実権を握っているロドリーゴ・スフォルツァが力をいれて手間がかかるが良いものを作ろうと考えていたため、ブラマンテ設計したものの意見が分かれていたので、ダ・ヴィンチやマルティーニを招き意見を聞いたようである。(結果的にはブラマンテの簡素な案はかなり手を加えられフィレンツェ大聖堂のようなクーポラを持ちつつも下の塔が複雑な建築となっている。)

【2・建築、数学、ミラノ】

 そんな親交があったダ・ヴィンチは、マルティーニの著作『建築論(おそらくTrattato di Archittura civeile e militare:市民建築および軍事建築に関する理論書)』を手に入れて、その本の空欄にイラストなど描きこんでいる。

 その中で人体を額の大きさで分割したイラストがあり、更にそれを応用して柱をデザインしているイラストも描きこんでいる(『レオナルドのもう一つの遺産』裾分一弘ら著に実物が載っているのをみて)。

 そしてそれを見て思い出すのが、まず同じ時代に書かれた「ウィトルウィウス的人間像」である。

 そしてもう一つ思い出すのは、同じく同じ時期に書かれたレオナルド・ダ・ヴィンチの友人の神学者であり数学者パチョーリが執筆しダ・ヴィンチが挿絵を描いた『神聖比例』である。

 『神聖比例』には、顔を正方形で分割したイラストが載っていて、内容は人体のプロポーションを考える必要性やそれを建築に活かす方向性、また風景を比率や幾何によって分析する射影遠近法論にも触れている。

 つまり、人体のプロポーションは建築的方向からだけでなく数学的方向からも発していると考えられる。

 そして、建築方面ではミラノの都市の計画に携わったものに都市を円をベースとした環状道路によって形成すべきと唱えたフィラレーテもいて、ダ・ヴィンチはフィラレーテの建築も見ているという。

 そう考えると、「ウィトルウィウス的人間像」は、建築的であり、数学的であり、ミラノ的であり、また哲学のプラトン主義的な影響を受けた上で書かれたものだと想像してしまう。

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