レオナルド・ダ・ヴィンチは、人体解剖を行い、スケッチを多く残している。そしてパドヴァ大学の解剖学教授と解剖学の研究を行っている。そして、ミケランジェロも1548年にバドヴァ大学のコロンボという解剖学の教授と共同プロジェクトをする予定もあったようだ。
レオナルド・ダ・ヴィンチがヴェロッキオ工房で修行しているときに解剖の知識を身に付けて芸術に活かすように指導されていることから、15世紀初め辺りには解剖を正確に再現することが芸術の一つの目的となっているともいえる。
ただ、ダ・ヴィンチの先駆的だったところは、人体の内部の解剖をまで行い(立ち合い)、骨や筋肉のメカニズムまで探求して絵画に活かしたことだろう。
そして、1543年コペルニクスの名著が有名な年に、医学界でも衝撃の書『ファブリカ』が出版される。『ファブリカ』は、今までガレノスを中心とする古典の知識を収集してそれを人体の解剖で証明するという方だったのを、人体の観察自体を重視して仮説を立てるというところが衝撃的だった。ただ、『ファブリカ』を書いたヴェサリウス自体は人体解剖よりも動物解剖の方が中心で、ヴェサリウスと親交を持ちライバルでもあったコロンボが人体解剖を重視したのは稀なケースであったという水準であった。因みにコロンボはミケランジェロと共同してヴェサリウスの『ファブリカ』を凌駕する本を作るつもりだったとか(ミケランジェロが高齢のため中止になったとか)。
そしてダ・ヴィンチの頃から解剖で有名であったパドヴァ大学(ヴェサリウスやコロンボもパドヴァ大学の教授でもあった)に17世紀初め学んだのが「血液循環の発見」で有名なウィリアム・ハーヴェーである。そして、デカルトはハーヴェーの影響を受けている。更に、少し後の17世紀半ば、後にニュートンなどを輩出する王立協会の母体となるグループで活躍していたウィリアム・ペティもハーヴェーの影響を受けたシルヴィウスから解剖を学んでいる。
因みにウィリアム・ペティは人体解剖を学んだ後、社会に解剖の方法論を取り入れて「社会解剖」という分野を切り開き経済学の母体となる。18世紀前半のフランソワ・ケネーも外科医であった経験から血液循環などのアイディアをもとに経済は循環するという「経済表」を執筆したといわれている。
18世紀後半になると、ゲーテが動物の比較解剖学の研究を行っている。ゲーテは植物の分類から形態変化を意識した進化論の前触れのような考えを持っていて、当時ダーウィンの祖父であるエラズムス・ダーウィンが進化論を着想する事となった植物の分類に関しての大家・リンネの考えに影響を受けていたようである。また、ゲーテの植物の研究の東洋への意識と同じくして日本にきたシーボルトは日本人にリンネの分類学を伝えている。
そして19世紀の半ばにはダーウィンの進化論の登場である。ダーウィンも動物の骨格や形態についてよく研究している。ダーウィンの進化論の影響を受けたものの一人として南方熊楠がいるが、南方熊楠はアメリカ・イギリスでダーウィンの著作を精読した。ただ、南方熊楠自体は進化論よりも変化の様に美を覚えたようである。
その頃になると解剖学の知識を筋肉トレーニングに取り入れたユージン・サンドウが20世紀初頭に活躍する。ユージン・サンドウはギリシャやルネサンスで作られた精巧な筋肉などの再現をした理想的な身体に憧れて、当時体操でしか筋力を鍛える考えがあまりなかった中、医学系の学校に生き解剖学を学び、筋肉の位置に相応したトレーニング方法を提示し「ダンベル体操」として広く普及する。その後20世紀半ば、ボディビルディングやウェイト・リフティングが発展していき、特にアメリカではホフマンがバーベルを効率的に改造し、筋肉トレーニングをより発展させる。
21世紀になると、筋肉を単一なものでなく複合的なものでみる考えが主流的になってきて『アナトミートレイン』や『初動付加理論』などのような考え方が発展してくる。
…以上のように、自分の中での筋肉と骨を探求する学問の歴史をアウトプットしてみました。解剖学・美術・医学・生物学・進化論・比較解剖学・筋肉トレーニング・スポーツ科学という「筋肉と骨の探求」というキーワードでジャンルを横断する歴史を描き出したいと思いました。
また、進化論などの品種改良などの知識がどのように畜産の算出に貢献してきたのか、あるいは畜産学がどのように生物学に影響を及ぼしてきたのか、なども探求できたら楽しいなと最近思っています。