【松屋】

■千駄木 腰塚■

 今回は、コンビーフの入ったサンドイッチ「ルーベンサンド」で、千駄木腰塚の特製コンビーフを食べました。
 黒毛和牛の人肌でとろける乳脂とお肉の旨味が、ザワークラフトやチーズによって引き出されていて、とっても美味しかったです。

 「千駄木腰塚」の特徴としては、A5ランク(特に「脂肪交雑」という霜降りの入り方の高グレード(No.10~12)なもの)を、銘柄にこだわらず、熟練の職人の目利きによって数十頭買い付け、店頭に安定した美味しい品質の牛肉を揃えているところにあります。
また品川駅港南口側にある東京食肉市場(※)の中で牛肉の枝肉の買い付けを行い、東京食肉市場内で加工し部位別に真空パック化されるため衛生管理が行き届いています。
また更に千駄木の工場でオートメーションでなく熟練の職人のこだわりの手作りで、コンビーフやベリービーフを作るため、大量生産はできないものの高品質な加工食品も取り揃えています(ギフトにもお勧めです)。

1949年創業。谷中千駄木よみせ通り商店街の中ほどにあります。
「コシヅカハム」としてハムやソーセージと言った食肉加工品を自社製造及び販売していました。
2013年いつでも良い品を食卓へという想いをのせて(おそらく牛肉の生肉の品ぞろえもグレードアップして)「千駄木腰塚」という新たな屋号でリニューアル。

※東京食肉市場…戦後、洋食の普及によってお肉の需要が増大するものの、「そで下取引」も行われていて、1966年公正な取引を実現するために「中央卸売市場法」に基づいて作られた中央卸売市場(東京の11か所ある中央卸売市場の中で唯一お肉を扱う)。取扱高は食肉市場として全国一位の規模。

※ルーベンサンド
 1900年代前半にアメリカで登場し、ニューヨークの定番サンドイッチ。
 ライ麦パンでコンビーフ、ザワークラフト、スイスチーズ、サウザンアイランドドレッシングを挟んでグリルして作るホットサンドがベースだが、バリエーションは多く存在します。

※wikipedia と千駄木腰塚HP、東京食肉市場HP参照

■銘家逸品■

松屋のデパ地下には銘菓逸品というこだわりの諸国銘菓を集めた商品を集めたお店があります。そこでの東京の銘菓を紹介します。

☝銀座7丁目の築地よりにある和菓子の老舗「清月堂」の代表的銘菓『おとし文』。こちらの「清月堂」は銀座7丁目に1907年創業しています。1934年には旧宮内省の御用を承るなど卓越した技術をもつ会社の逸品となっています。

ほろり、やさしい口どけの人を想うお菓子であり、銀座の定番手土産にもよく紹介されます。

昆虫のオトシブミが、巻かれた葉っぱの中に卵を産卵する様をモチーフに作られたお菓子のようです。

先代に甘えることなく代々自分のお菓子を作っていくことがもっとうで、初代は井戸水を使って水羊羹や葛桜をオープンのとき売り出し、『おとし文』は三代目の傑作となっています(現在は四代目が経営)。

☝1951年創業の銀座八丁目(新橋寄り)の甘納豆専門店「銀座鈴屋」の『大納言』。「銀座鈴屋」には「栗甘納豆」や「銀座六花 お豆のグラッセ」があります。

甘納豆は砂糖などをいれた汁で煮詰め乾燥させたもので、グラッセはさらに水飴などで煮詰めたものであり、近いためグラッセもこだわりとして開発してのかもしれないです。

『大納言』は「大納言小豆」を使っているからで、「大納言小豆」は煮ても腹割れしないことから、朝廷の大納言が宮中で抜刀しても切腹しなくてよいこととかけて命名されたようです。「大納言大豆」は小豆よりも糖度が高くなっており、さらに形も大きいです。

☝もともと栄太郎の父である埼玉の菓子商人が日本橋のたもとで金鍔を焼いていた屋台が、父と栄太郎で繁盛させ1857年「榮太樓總本鋪」としてリニューアルしたお店が今も続く「榮太樓總本鋪」の『黒飴』です。

最初は魚河岸商人などに人気がありましたが、その後すぐに、「梅ぼ志飴」という商品を開発し大ヒットし、戦前は東京随一の繁盛店として認知されていたようです。「梅ぼ志飴」を唇にぬってから口紅を塗ると荒れないという事などからも東京土産としてニーズが高かったようです。また、「梅ぼ志飴」は開発同時高価になっていた有平糖を見た目よりも廉価であることを大切にして販売した商品でもありました。「有平糖」はもともと南蛮菓子で砂糖で煮詰めた飴で日本で最初に輸入されたハードキャンディであるのですが、江戸時代の中で技巧を凝らして高価な食べ物になっていたそうです。それを廉価にしたので、売れる要因の一つとなったということなんでしょう。

その「梅ぼ志飴」の姉妹品として明治中頃に作られたのが」こちらの「黒飴」です。

その後、1877年には第一回内国勧業博覧会で「優秀賞」。

1951年に、日本初の食品名店街で現在のデパ地下のルーツでもある、東急東横のれん街の設立に尽力し、百貨店市場に進出しました。それにより「梅ぼ志飴」は代表的な東京土産となりました。

1974年「みつ豆」のテレビCM開始。「美味なる物の大衆化」をコンセプトに「みつ豆」の缶詰での商品化に尽力します。

1994年量販店市場にて「黒みつ飴」を発売します。

☝麹町にある泉屋東京店の「クッキー詰め合わせ」。

「泉屋」は日本で初めてクッキーを販売し始めたお店です。

もともと鉄や機械を扱う貿易商だったのですが、1914年和歌山に住みクリスチャンであった夫婦は教会にてアメリカ宣教師からクッキーを知り、そこでアメリカからオーブンを発注して焼き始めたようです。

その後1927年京都にて「泉屋」の看板を揚げて商売し始めました。

その後、1937年に東京に移転し、赤坂に開業します。そして麹町に1958年移転して現在に至るようです。

スコットランドの伝統的なクッキーを継承と謳っているのは、恐らくクッキーを作り始めた頃、欧米の本を研究したということなので、こちらからの知識ではないでしょうか。

【三越】

次に、三越のデパ地下にいきました。三越は地下の食品スーパーもこだわりの商品が非常に多く置かれていて買物して楽しいです。

☝「銀座鹿乃子」の『焼まん』。

「銀座鹿乃子」は1946年創業。銀座五丁目に本店があります。創業70周年記念で作られた商品が「ふわっと焼まん」で、弾力のあるカステラ生地の塩味とこしあんの甘味が上手くマッチしています。

今度は店の名前にもなっている「鹿乃子」(飴を五種類の豆で包んだもの)を食べてみたいですね。

【銀座シックス】

☝「カフェ・ユーロップ」の『カレーパイ』。

「カフェ・ユーロップ」は1920年カフェ文化の中心地であった銀座の最もコーヒーの旨い店と言われていた伝説の喫茶店を銀座シックスにて復活させた店舗となっています。売っている商品は「コーヒーに合うお菓子」。

こちらのカレーパイは「カフェ・ユーロップ」の当時の味を再現した商品のようです。辛めのカレー味にしっかりとしたパイが美味しかったです「。

いつか銀座のカフェ文化も調べてみたいですね。

■交通会館■

最後はデパ地下ではないのですが駅前の交通会館1階にある諸国の厳選品がうっているお店の一品を紹介します。

【むらからまちから館】

☝こちらは東京の真ん中より西より(八王子よりかなり北)にある青梅市にある「たまご倶楽部」という養鶏からたまごを主体としたお菓子作りをしているお店の商品です。

「おつまみチーズ」を作っているのは、自分が食べたいものしか作らない、というモットーから生まれた厳選商品のようです。燻製の味が美味しいおつまみに最適な一口チーズとなっています。スモークチーズは自信の一品と謳っています。

1991年創業で、昔食べた卵らしかった卵を作ろうと試行錯誤して作った卵が人気が出て脱サラして起業したようです。

東京も都心だけで考えてはいけないと思わされました。

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