今回は、「ストーカー」というキーワードから1990年代から現在までの時代の空気を読み解いていきたいと思います。
順序としては、「ストーカー規正法」が制定される前の「ストーカー」に対する認識(【1】)、「ストーカー規正法」が制定されたときの背景とされる必要があった理由(【2】)、そして2回の「ストーカー規正法」の改正の意義(【3】【4】)、を説明していこうと思います。
なおストーカー規正法に関係する3つのストーカー事件においては、ストーカー事件はどのような心理ややり取りが交錯しているかイメージしやすく、また分かりやすくするため、私見も含めた解説を行っています。しかし、この解説は事件自身の本質的な真理究明を行うための解説でなく、あくまでストーカー規正法とストーカー事件での流れが分かるように解説したものです。ですので、実際の事実は多少なりとも異なる部分があることをお断りします。
目次
【1】1995年「ストーカー」という言葉が普及し始める
【2】2000年 「ストーカー規正法」が制定(桶川ストーカー事件より)
【3】2012年 「ストーカー規正法」改正(逗子ストーカー事件より)
【4】2016年 「ストーカー規正法」改正(小金井ストーカー事件より)
【1】1995年 「ストーカー」という言葉が普及し始める
流行のきっかけとなる著作『ストーカー』
「ストーカー」が日本で注目し始められたのが、「1995年秋、リンデン・グロスの『ストーカー』が祥伝社から邦訳・出版されると、「ストーカー」という言葉は日本でもたちまち流行語となった。」(※1)という事からのようです。
引用した書籍は『ストーカーの心理学』という1997年に発売された書籍になります。2000年にストーカー規正法が成立してから、それ以降の書籍にはストーカー規正法についてか、成立されるに至った「桶川ストーカー事件」について語り始めることから始まるので、それ以前の書籍は「ストーカー」という問題をどのように議論されていたのか知る貴重な一冊といえると思います。
そもそも、「ストーカー」という行為自体はそれ以前からありました。おそらく人の社会生活が営まれてから「ストーカー」という行為はあったと思います。
殺人やいじめ、家庭内暴力なども人間の歴史だけ存在します。
そのため、新たに法律が誕生したというより、なぜ「ストーカー」にスポットが当たったのか考えることが、その時代を読むことに役に立つと思います。
社会背景
1995年は、前年にオウム真理教の地下鉄サリン事件がおこり、1月には阪神淡路大震災が起こっています。また薬害エイズの事件もこの年になります。
このように、社会の中で新たに浮上した秩序を乱す問題を、法律でどのように抑止するか考えられた時期なのだと思います。
因みに、『ストーカーの心理学』においては、
①1980年代後半から更に大都市に人口が流れ、「都市の人間関係は、満員電車に象徴されるように、物理的にはひどく過密だが、そこで身体を押しつけあっている相手がどこの誰とも知らない人間たちであるという点で、心理的にはきわめて過疎の状態になる。ストーカーは、その雑踏の中から一方的に対象を見つけ出し、群衆の無名性・匿名性の仮面に身を隠して本性を発揮する。」(※1)、、、と人口過密の中の匿名性が一つの要因だといっています。
②また興味深いことに、女性の社会進出と結婚年齢の上昇も影響していると語っています。1980年代後半にはお見合い結婚から恋愛結婚以降が進み、バブル期に恋愛結婚が多くの人に普及しました。そして、恋愛結婚は結果的に結婚年齢の上昇を起こしました。結婚年齢が上がるということは人が生涯の中で結婚を前提と必ずしもしない恋愛をする時期が増えるということです。出会いと別れはストーキングが起こりやすくなるときでもあり、これが増えることも一要因だといっています。
また女性が社会進出することによって、独身の女性が一人暮らしをする機会が増えることによって、女性一人でストーキングに立ち向かわなくてはならなくなっているためストーキングを深刻化させているとも言っています。
この2点で特に「ストーカー」を考える上で大切なのは、「匿名性」「交際の期間の拡大」というところです。
実際「ストーカー」に狙われたとき、加害者の両親や上司に連絡を追って、加害者の行動を抑制してもらうことは非常に有効です。そのため、被害者も加害者もそれの人たちの周りの人が分からないと、人の目をはばからず行動に移すことができるようになるのです。
また、「ストーカー」が起こる条件として、恋愛の別れを告げられたときに関係を継続をしたいという要求によるものと、別れを告げられたときに名誉が傷つけられたことが撤回することを動機とするものが多いといわれています。そのため、出会いと別れの機会が増えることはストーキングの発生確率を増やしているのです。
つまり、この二点はストーキングの発生確率と、制限を取り払っているともいえます。
【2】2000年 ストーカー規正法(桶川ストーカー事件より)
1999年 桶川ストーカー事件が発生します。
この事件は、被害者が家族と共に警察に届け出ながら満足の行く警察の保護を受けられず、加害者側は復讐をその道のプロに頼んでついには殺人まで結びついてしまったというところが重要だと思っています。
匿名性の出会い
桶川ストーカー事件は、被害者である女子大生が匿名性の高いゲームセンターで友達共にであった男と出会ったところから始まります。風俗店の経営者であるのにも関わらず、ディーラーの経営者と肩書きを偽っていたりと、出会いの時点から見知らぬもの同志の出会いとなっています。
ストーキングの始まり
最初は軽い食事などの交際だったようですが、いつしか男はブランド物など高価なものを彼女にプレゼントするようになります。ストーキングが始まる条件として、一方的な要求を相手が断ることがあります。今回の件も男性側の要求性の強いプレゼンを彼女にあげている内に、彼女の方は一方的な要求についていけなくなり、断るようになります。そこからストーキングが始まりました。
次に、ストーキングが発展していく条件として、一方的な要求に対して回避の回数が増えることにあります。ストーキングを受けたとき、よく簡単に関係を断ち切ろうと着信拒否やメール拒否などをしてしまうことがあります。しかし、その行為は逆にストーキングの炎上させてしまう可能性が高いのです。案の定、この事件でもプレゼントを拒んでいく内に、更に相手の要求が強引になり別れることを彼女は決め、その行為が相手の琴線に触れてストーキングを炎上させてしまう結果になりました。別れることを告げても、さまざまな方法で説得され、遂には力付くで説得してくるようになりました。
復讐屋に依頼
その結果、説得の過程で相手が暴力的な人との交際もあることも知り、強引に分かれることを決断します。ここから、本格的な殺人事件に繋がるストーキングに発展することになりました。男の方は、別れることに名誉を傷つけられたことの報復としてか、それとも彼女とよりを戻そうという強い思い入れから、プロの復讐屋に頼んで、彼女に更なる恐怖を与えることを決めます。ストーキングが危険な点として、最初の内は要求充足や分かれた理由を聞くための疑念解消によって始まるのにも関わらず、相手が複数回拒んでいく内に、加害者の行為は怒りに変わってしまい、目的とは別に相手を痛めつることや、無理やり服従させることに目的が変化してしまう点にあります。今回の件も、それが起こってか男はプロに頼んで彼女に嫌がらせをするように大金を払って依頼します。
ストーキングに対する名誉毀損や脅迫罪しか問えない状態
嫌がらせは、エスカレートし、送った高価なプレゼントの金額を請求する、また被害者の写真を載せて「大人の男性募集中」とかかれたビラを加害者に依頼された組織がばら撒いたりします。
当時はストーカー規正法が無かったためストーカー行為自体を取締まったり警告だしたりすることができませんでした。被害者は警察にいくものの、加害者の行為が脅迫罪か名誉毀損に当たる罪として告訴するしかありません。
しかし、いずれも刑事か民事か、時間をかけて調査しなくてはいけません。また、誤って民事なことに警察が介入する危険性があるため警察は慎重にならざるおえません。今回も警察は告訴することにためらい、告訴までも非常に時間がかかっています。
つまり、ストーカーの嫌がらせが続いていも、警察の保護は受けることができず、審議を待たなくてはいけなくてはいけない状態でした。
そして、今回の桶川ストーカー事件においては被害者は、あやまったものの加害者に雇われた組織に殺されてしまいます。
加害者も自殺する可能性は高い
しかし、加害者もその後自殺をしています。
ストーカーは被害者だけでなく、加害者自身も自殺することも多いようです。特に、被害者を殺して、加害者は要求を充足させるための行為から転じた怒りを発散させたわけですが、殺してしまったため要求を充足させる相手がいないためか、充足させたことからの満足感か、生きがいをなくして加害者が自殺してしまうことも多いそうです。
ストーカー規正法の成立
上記の事件を受けて、ストーカー規正法が成立しました。
これによって、ストーカー行為自体を罪に問えるようになりました。そして、ストーカー行為を警察に親告することで、加害者側に警察から「警告」を出すことができるようになりました。そして、「警告」をしても治まらないようなら、「逮捕」をするようにできるようになりました。
【3】2012年 ストーカー規正法改正(逗子ストーカー事件より)
この事件においてはこの事件に多少ともかかわりを持った小早川明子さんの著作『「ストーカー」は何を考えているか』
(新潮社、2014年)を参考にしつつ解説します。
自己評価の低さとストーキング
バトミントンサークルで加害者と被害者は知り合いました。
しかし、後の加害者となる男性は「もともと不安になりやすい性格で、大学を卒業してから就職先が決まらなかった頃からうつ病で通院していました。」(※2)また、被害者に別れを切り出された後、高校の非常勤講師から正規教員となりつつも不安を覚え心身に異常をきたしています。
ストーキングが始まる転機として、加害者が被害者に対して一方的な思い入れがあるときに、別れを切り出されるときという瞬間がありますが、その転機が訪れてもストーキングをしない人も大勢います。ストーキングに陥りやすい人の傾向として、自分に対する評価が非常に低い人や、パーソナリティ障害や発達障害などが指摘されます。
今回の事件は、おそらく加害者の不安を覚え、自分に対しての評価が非常に低かったため起こったと考えることもできると思います。
ストーキングを自覚する方法としてのメール
ストーキングをしていることを自覚する一つの指標として、メールがあります。ストーキングをしていない人はメールを送っても自分に対する評価が高いため、返答がないメールに対しては更に弁明や解釈のメールを送ることはあまりありません。しかし、自己評価の低い人は、メールを出した内容に対して自信がないため、弁明や解釈のメールを送ることが多いです。しかし、相手側が返答する気がない場合、返答が放置されます。すると、弁明した内容自体にさらに不安を抱き、さらに弁明の弁明を行うようになります。また、相手に返答を要求するようなメールにも繋がります。そして、収拾がつかなくなった加害者は、自分がしたいことが思い通りにいかないため、怒りを抱き、怒りの言葉をメールで発散するようになります。
このようにストーキングを自覚する方法として、メールの使い方がひとつとしてあると思います。
今回の事件では、被害者は加害者になんども丁寧に別れを告げたものの、加害者は執着を断ち切れず、被害者のメールアドレスに多くのメールを一方的に送っています。
ストーキングが過激化するタイミング
一旦は加害者と被害者は別れて、落ち着いたものの被害者が結婚していることをツイッターで加害者が知り、また再び加害者はストーキングを起こすようになります。
ストーキングが過激になるきっかけとして、被害者が結婚したり、新しい恋人ができたことを知ったとき、また新しいパートナーと会ったときなど、加害者側の要求がある意味では現象的に可能性をゼロに近づける出来事、加害者の意向を締め出すような出来事がきっかけとなることが多いです。他にも、警察や家族などによってストーキングに介入されたときもあります。
このうように、加害者が被害者に対して要求を充足する過程に障害となるような出来事がおこるとより過激なストーキングとなることが多いのです。
ストーキング規正法の「警告」
ストーキング規正法ができて以来、加害者のストーキングが行為として認められたとき、警察が加害者に対して「警告」を出せるようになりました。
今回の事件ではこの「警告」を被害者が出すことにします(因みに、警告を出した瞬間も加害者のストーキングが過激化するタイミングです)。ただ、この事件では脅迫事件として被害届を出すように警察に説得されています。
ストーカー規正法の「警告」を出すときまず聞かれることが、「「接触を拒否しましたか?」ということです。(※3)ストーキングなら「拒否して当然ではないか、と思われるでしょうが、一旦ハラスメントの被害者になったら、拒否すること自体が難しくなるのです。」(※4)。。。というのは拒否することは、ストーキングを過激化する瞬間でもあるからです。そのため、ストーキングが起こる事例として、「別れる際にちゃんと拒絶と別れの言葉を伝えなかった」ということが多くありますが、事件の現場としてはそれを伝えることは被害者にとっても危険な瞬間となるため、なかなか言えないものなのです。
ですので、警察を通して拒否の意味を表す「警告」を出してもらうことは、危険な瞬間にワンクッションおくことになり、とても助かることなのです。
警告を出せる警察署の場所の問題
この事件は、加害者を恐喝罪で逮捕し、ストーカー規正法の「警告」が出せたものの、その後加害者は調査会社を通して1日で被害者の住所を調べ殺人を犯しています。
そのため、この事件では「なぜ、加害者の情報を調査会社を通して簡単に調べ上げることができたのか?」とうことも問題の一つとなりました。
今回の件で、住所を調べ上げられた理由として、被害者の所轄である逗子警察が中心となり事件の対応に当たっていたため。また、脅迫罪で逮捕するとき、告訴者である被害者の名前を警察側が読み上げてしまったことが影響するといわれています。
そこで、この事件の後、ストーカー規正法の改正点として、「被害者の住所地だけでなく、加害者の地元および加害行為の起きた警察署でも警告を出せるようにした。」(※5)ことがあります。
「ストーカー行為対策」の迅速化に対する改正
他に改正点として、
「明文規定がなかったしつこいメールを「つきまとい行為」と規定した」
「警察が警告をしない場合、その理由を被害者に文章で通知することを義務づけた。」
「ストーカー行為の被害者に対する支援先として、婦人相談所を加える」(※6)
という点があります。
今回の事件で、度重なるメールがあったにも関わらずこれだけではストーカーとなかなか認められず有効な対策が取れなかったことが教訓になっています。また「警告」をなかなか出せなかったこともあり、これを受けて「警告」を出せないときはしっかりと理由を被害者に通知して、「警告」が出せるような対策を迅速にだせるようにということがあります。
また三点目は、現在「ストーカー行為」を相談できる場所として「警察」がほとんどのため、選択肢を広げる意味をこめて改正しています。
【4】2016年 ストーカー規正法改正(小金井ストーカー事件より)
小金井ストーカー事件は、アイドル活動を行っている被害者に加害者がツイッターに執拗な書き込みを行い続け、最終的に加害者が被害者のライブハウスで待ち合わせし、通報されたことがタイミングとなり被害者に重傷を負わせた事件になります。
SNSへの嫌がらせも「ストーキング」に
前回まではメールのつきまとい行為までしか「ストーキング」とされていませんでした。そのため、もともと時代においついていないという指摘もあったため、SNSへのつきまとい行為もストーキング行為とみなされるようになりました。
親告性から警察の判断によって「ストーキング」に認定する
また今まで「ストーカー規制法」の適用は、親告(本人の申し出)があって始めて施行されるものでした。しかし、今回の改正によって警察の判断によって「ストーキング」とすることができるようにもなりました。
今回の事件で、警察に相談をしながら、警察は加害者に有効な対策をとることが出来なかったことの教訓でもあります。
※1『ストーカーの心理学』福島章 PHP研究所 1997
※2『「ストーカー」は何を考えているか』小早川明子 新潮社 2014